話題がぜんぜんほのぼのじゃねえ!!
たとえば、空母翔鶴の最後がめちゃくちゃ苦手。
空母翔鶴の最後、っていうのは翔鶴は沈没時に多くの戦死者が出てしまって、その原因が……
これは下手な本より艦のことを学べることに定評がある艦これwikiだよ(wikiだから与太も混じってるけどこれ永久保存レベルの資料だよね???? )
詳細はwikiにお任せしますが、甲板が傾いて大穴に搭乗員たちが――のあたりから「ぎゃー!」ってなってしまう。
大量の人がすべり落ちる音なんて絶対聞きたくなさすぎる……(お悔やみ申し上げます……)
これに限らず、私は「いっぱいの死」がかなり苦手らしい。
群衆事故――人混みで足を滑らせて人々が折り重なって……とか、もう辛い!
群衆事故ってありえんくらい混んでる場所はどこにでもあるから、どこでも起きうるんですよね。怖すぎ……。
前に韓国で痛ましい事故がありましたね。ニュースで見てたけど本当に辛かった。(お悔やみ申し上げます……)
電車事故も苦手です。「福知山線脱線事故」「鶴見事故」「三河島事故」全部調べたけど後悔するくらいキツい。
昔の新聞なんてかなり鮮明にはっきり書いてるから、鶴見事故・三河島事故の新聞は当時の被害状況がありあり伝わってきて。率直に言って、グロいし、そのグロさが実在したグロさなの。辛いよー!!!(お悔やみ申し上げます……)
航空事故といい事故系のものは知るのは好きだけど、被害状況は正直知りたくない、でもそこまで知らないとその後の対策の意味とか分からなくなるから調べちゃうんだよね……。
人の死を無駄にしないという意味では正しい行いではあるけど、それでもね……心がね……。
私はそういう、人が人らしくない氏に方でたくさん亡くなるの、たぶんめちゃくちゃ苦手っぽい。
もちろん災害や事故でいまも誰かが亡くなってるし、そのどれもが等しく哀しいことだけれども。
なんていうかある日突然、身近な隣人が「たくさんおおぜいの死」に含まれて、たった一人がたくさんの死体の一つになることを、感じて、ゾッとしてしまうんでしょうね……。
最近、やっと自覚したけども。
でもフィクションならわりかし平気にはなるんです。「わりかし」だけど。
妖怪が大勢の人を虐札――とかも「うわー!」と感じるけれど、そこ止まりなんで。
遥か昔「BLOOD-C」というアニメがあって……面白……いとは言うのはちょっとためらわれる、味わい深いアニメだったんですけど。
最終回がマジでグロくて、
ネタバレ 最終回のグロ(閲覧注意)
逃げる街の住民を、巨大な兎?妖怪たちが手や網で機械的にすくい上げては、大きなミキサーにまとめてかけていく……という容赦ゼロの展開
という感じだったんです。
けど、それ見た私の正直な感想が「ええ……?」だったんですよね。
このええ……?はグロ展開への不満じゃなくて、ぶっちゃけBLOOD-C、話の薄さのわりにグロシーンばかり異様に凄惨なんですよ!牛挽きレベル100みたいなのあるし。
なのに毎回、それに至る過程がやたら盛り上がりに欠けるから「なんか死んだ……」になってしまって……。
だから最終回の激グロも、ぶっちゃけ「この期に及んでまだグロで尺潰しやってるよこのアニメ〜!」だったんですよね感想。人が死んでんやぞ?
いや、凄惨さを伝えるためのグロ展開はわかる!それでグロが長くなるのもしょうがない!
でもBLOOD-Cの場合、グロシーンなり謎の歌シーンなりに回した尺を、ストーリーのほうに回してほしいが勝っちゃうんですの!
感情移入する前にグロに入るから感情の置き場に困るんですの!
グロいよ〜よりこれ監督の考えた最強のグロだ〜が勝っちゃうんですの!
しかも最終回のグロシーンの直前ってね、主人公と馴染み深い人との激闘があって。
そこはね!熱いシーンだったんです!あの戦闘シーンは手放しに褒めます!
最終回にふさわしい剣劇でした!
だからこそ余計にその後の、雑な最強のグロさに「打ち上げ花火かなんか?」みたいな冷めた感想になっちって……。
ネタバレ2
最終回付近の流れ 主人公が本当の記憶を取り戻す→本性を表した父上とバトル→町民大虐札 という感じなんですけど……
町民大虐札より、偽りの関係とはいえ大好きな父上にとどめを刺すシーンのほうがよっぽど悲しかったよ〜!
町民との交流はほとんど書いてないうえに、町民全員実はクズで〜すをやられてるから、町民大虐札起きても、主人公はともかく視聴者には「いっぱい氏んどる」以上の感想が持てないよ〜!
これ、毎日挨拶してくれたおばあちゃんが……郵便の人が……とか、そういうのがあったらかなりショックだったけど、それがないんだよこのアニメ……!グロやる尺をこっちに回せよ畜生……!
なんだろう、主人公と視聴者にとってショッキングな展開にしたいのはわかるんだけど……。
シナリオによる精神的ダメージではなく、グロによる精神的ダメージを狙ってくるから、グロ耐性があると「なんでこの皿グロしかないん?」みたいになるんすよね……。
視聴者が登場人物に思い入れを持てるような話運びをしてくれたら十分衝撃的だったんだけど、この作品では間延びした日常って感じでね、上手くやれなかったのがね……痛かったね……。
何度でも言うように誤解しないでいただきたいのは、クライマックスで人が大勢死んでも、フィクションだし、それが物語に必要なことならいいんです。
BLOOD-Cのグロが雑すぎるだけなんです!もうさっきからBLOOD-Cの悪口しか言ってねえ!!
それでもなぜか、今でも頭には異様に残ってるんですよね、BLOOD-C。
やりたかったことは何となくわかる。ミスリードとか上手くハマってたらよかったと思う。
でもシナリオも演出もから回ってた……哀しい事件なんす……。
実際、自分でシナリオを書こうとしてみると本当に難しくて、なんで製作陣がこういうミスをしたのかもやっと分かりました。ちゃぶ台返しも伏線回収も……ゲキムズ!!!
盛大に脱線しちゃった。
この通り、フィクションならわりかし(わりかし)大丈夫だけど、リアルだとキツくて。
そのボーダーはどこか?と考えたとき、「たくさんおおぜいの死」で誰かが無に還るのがキツいんだろうな、と。
この無というのは死後の世界があるかないか、とかではなく、在ったことも忘れ去られる、というより忘れてしまうことへの恐怖なのかな。
人格を感じた人がいきなりニュースの向こうの人になって、二度と会えなくなって、そのままニュースも埋もれてチラシの端にも残らない、そんな恐怖感。
それを感じるようになった理由に心当たりがあって、実は実家に、神風特攻隊になった人が残した和歌集があるんですよね。
厳密に言うと、その人の兄が弟を偲んで、趣味で詠んでいた句を編纂したものでして。
できた和歌集を自分の知り合いに渡していて、祖父がその渡された一人だったようなんです。すごい話だ。
私嘘つくのはいやなので正直に言うと、和歌集としては凡庸なものでした。(ごめん…)
でも誰かが遺したものなんだよなと思うと胸が温かくなって。
と同時に、背筋がゾッとした。
神風特攻隊の存在は知ってたし、痛ましいことだと思っていた。回天とか辛すぎだし。
でもその「一人」に思いを馳せたことがない――というより、実際に「いた」人たちであることを、知ってたけど。わかってたけど。感じてなかったんですよね。
実際にいた人だと、本当はまったく思ってなかった。
縁遠い「たくさんおおぜいの死」の中で、その内の一人を感じたとき。
今まで彼をまるで知らなかったこと。
そしてこれからも、彼が「たくさんおおぜいの死の中の一人」として埋もれていくことに、無性に恐怖を覚えていたのかもしれない。
だからこうして、記憶に留めて特別扱いすることで、そうした現実から目を逸らし続けているんです。私は……弱い……。
私は前述したように事故系のものを知るのが好きで、特に航空事故の「メーデー」という番組が気に入っています。
でもなんで好きなんだろう。事故は嫌なのに。と考えると、ミステリ好きなのもあるけど、教訓があるからなのかも。
「たくさんおおぜいの死」の中に、誰かの愛する人がいたことは変わらないけれど、原因を突き詰めて、同じことが起こらないよう変えていく。
メーデーというか航空調査官は、何が原因かを徹底的に調べるんです。
整備員のミスが原因だったとき。その整備員を追求するのではなく、マニュアルの誤りや、ミスを誘発する勤務環境でなかったかを調べ、そこを是正するよう勧告を出す。
「しっかりしましょう」で終わらせない、価値観の相違によるものとしない。
根本的な是正なんですよね。人は誰しも過ちを犯す、だから誰かを責めるのではなく、誰も過ちを起こさないような仕組みづくりでフォローする。
「たくさんおおぜいの死」から、汎用的な「たくさんおおぜいの教訓」が生まれることに、私は安心感を得ているのかもしれない。
未来は確かに少しでも良くなったと、そう思うことができるから……。
世界は誰かを今日も忘れていくけれど、少しでもいい明日になればいいね。